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平惣書店トークライブ3/18(土)登壇します!
CATEGORY仕事
2020年、仕事を辞めたときのこと
CATEGORYいまんとこ定住日記
出版した本はおかげさまでじわじわと読んでもらえているようで、見知らぬ人から感想をいただいたり、地元の友達や先生と卒業ぶりに会う機会につながったりと、本を出してよかったなとしみじみ感動している。
先日なんとなくPCを漁っていると、本の「まえがき」の初稿が出てきた。2020年11月ごろに書いたもので、まだ岐阜県におためし移住をする前である。全体的にどういうテイストの本になるのかもまだ分からず、とりあえず書いてはみたものの、まず文字数が多すぎるし、内容も遍路本というよりは退職本のまえがきになってしまっているから書き直したいなと思って、のちに一からすべて書き直すことにした文章だ。おかげで実際の本のまえがきはお遍路本らしいものになって気に入っている。
この初稿を改めて読んでみると、推敲などしていないので内容が取っ散らかっているものの、仕事を辞める前や辞めた後の当時の曖昧な心境がよく出ているなと感じた。出版物として、僕のことを知らない人に読んでもらう文章としてはふさわしくないが、このブログに残しておくには良いんじゃないかなと思ったので、せっかくだしアップすることにする。
まあ誰のためというよりは、自分の記録用という目的です。
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まえがき
2020年4月18日、四国八十八ケ所霊場会が各寺に要請を出した。納経所を閉めることにしたという。お寺のウェブサイトには「納経所閉鎖」や「閉山」の文字が並んだ。
閉山というなんとも仰々しい字面を見、「仏教っぽいなあ」なんて笑いながらも、春の遍路の計画が完全に吹っ飛んだことを悟った。あ~あ、あてが外れたなあ。こんなはずじゃなかった。無職になった僕は四月から歩き遍路をし、夏にはどこかの山小屋でバイトでもしているはずだったのに。
いつか会社を辞めようとは前からぼんやり思っていて、それは特に何かがしたいとかそういうのではなく、かといって今の仕事がとんでもなく嫌いだとかそういうわけでもない、ふんわりとしたものだった。旅するように働きたい。漂ったり招かれたり、人から人へ、縁をたどって、いろんなことに触れてみたかった。
一人旅が好きだった。まあめちゃくちゃ旅好きな人ほど情熱があるわけでもないんだけど、たまに遠出してゲストハウス(相部屋の安い素泊まり宿)に泊まるくらいのことはしていた。そこでは同じように好んで一人旅をする人たちが泊まっていて、ご飯を食べたりお酒を飲んだりしながら、オススメの観光スポットやら観光じゃないスポットやらの情報を交換するのだ。そしてそのまま夜が更けて、若い頃にありがちな人生談義が始まる。そこにゲストハウスのスタッフが交じると議論は更に混迷を深め、カタギじゃない人生の例を沢山聞くことになって、実際そういう人が目の前に何人もいたりして、ああそういう生き方も出来るんやなぁ悪くないよなぁなんて思っちゃったらもう、後戻りはできなくなる。
またそういう宿にはたいてい旅好き作家の本なんかがズラリと置いてあって、それがまた面白いのである。この人たちは旅を仕事にしてあちこち行っては本を書き、漫画を描き、絵にして売って、それでまた旅へ出る。僕もそういう仕事がしてみたいなあなんて思っては、変わらない平日の仕事が始まり、それはそれで一生懸命頑張っちゃったりなんかして、やりきって、息抜きにまた次の連休に旅に出て、以下繰り返し。
以前、歩き遍路をしたことがある。そんなに昔ではなく、2016年のことだ。当時二十六歳で、仕事に疲れ、鬱状態と診断されて休職したのだが、しばらく寝込んだ後に、前から興味のあった歩き遍路に行ってみることにしたのだった。通院や心境の都合で三回に分けて歩いた。テントと寝袋を担いで野宿もした。山以外でのテント泊なんてしたことなかったので最初のうちはひどく緊張したし、連日三十キロ歩くのもしんどかった。でも四国の自然に癒され、多くの出会いに励まされ、思い出深い日々を過ごした。それでそこそこ元気が戻ったのであった。めでたしめでたし。
とはならず、そのあともズルズル休職が続き(鬱状態というのはそう簡単には回復しない)、結局一年後に転職してしまった。心機一転、新しい環境で楽しくやっていこうと思った。その時はまだ四国遍路の本当の恐ろしさを分かっていなかった。
四国遍路には依存性がある。界隈ではそれを茶化して「お四国病」と呼ぶ。遍路を終えたのにまた行ってしまう不治の病で、重症化すると脳内がお遍路のことでいっぱいになり、イライラしてぼーっとして眠くなる。それでまた手を出してしまう。接種すれば一時的にハッスルするが、帰宅してしばらくすると再び発作が出るというなんとも恐ろしい病気である。いやほんとに!
そんなわけで一周目が終わって二年後の2018年に二度目の歩き遍路に出かけた。四月に有給休暇を月~金までとって土日と合わせて九日間、そして5月にゴールデンウイークを利用して九日間。一番札所から始めて三十六番札所を越え、高知県の須崎まで歩いた。職場の先輩たちからは「ちゃんと帰ってきてね」「浄化してこいよ」「二日間の研修出張入れといたからな」と謎の配慮をされて非常に困惑した。そして帰ってきたら客先の人にもお遍路に行ったことが知られていた。なんでや。(黒いからである)
二度目の遍路はやっぱり楽しかった。思い出補正なんかじゃなかった。新しい出会いや発見があった。でも……でも、何か物足りなかった。出発して一週間程度で調子が出てきて、いよいよこれから!というタイミングで帰らなければならないのがもどかしかった。
通し打ちがしたい。一度も帰らずに八十八ヶ所を巡る、通し打ちがしたい!しかしそのためには一ヶ月半もの休みが必要で、どう考えたってそんな休みは取れるはずがなかった。
とはいえ新しい職場は繁忙期を除きプライベートな時間をそれなりに確保できるところだった。最初のうちは趣味の登山や一人旅をより一層楽しんでいたが、加えて、お遍路のマンガを描くようになった。歩き遍路をするとだいたい感動的で個性的で面白い出来事に巡り合うので、みなさんそれを何かしら形に残したくなるようだけど、自分の場合は漫画にしたいと思って、それまで漫画なんてちょっとしたものしか描いたことなかったくせに、見切り発車で描き始めた。描き始めると、描くことでお遍路を再体験できるのが楽しくて、お四国病の対処療法として有効でもあった。いくらかまとまると印刷して冊子にし、同人誌即売会で売るようになった。即売会では同じように旅に魅せられ人生が狂った、もとい人生が面白く転がった人がいて、中には半分仕事のように同人誌を作っている人なんかもいて、また刺激になった。何回か参加したりツイッターにアップしたりなんかするうちに旅仲間が増え、遍路仲間も増えた。そして少しずつ絵も上達していった。そうすると描くのがより楽しくなって、描いて、交流して、また旅をして、仲間が増えていく。そうした好循環できっと仕事も人脈も広がっていくんだろうなぁとぼんやり感じた。実際そんな単純なものでもないと思うのだけど、妙な所で楽観的な僕はそういう風に思っていた。
仕事を辞めることにした。三十歳になっていた。一度立ち止まってみたかったというのもあるし、自分を試してみたかったというのもちょっぴりある。そしてお遍路の通し打ちもやりたいし、長期で行ってみたい国もある。そのどれもが、いつかいつかと待っているだけではおそらく永遠に来ない機会であると思った。自分で作らなくてはならない。
旅仲間や旅の本の作者たちを見ていると、特に何も決めずにそうやって仕事を辞めて旅に出て、でも何とかなっている人が多かったから、たぶん自分も何とかなるだろうと思っていた。よく考えるとそれはいわゆる生存者バイアスであり、何とかなった人だから元気にしているわけで、何とかなっていない人も多いはずなのだが、どこかで自分は何とかなるだろうと思っていた。
いざ仕事を辞めるとなると、それを会社の人たちに説明しなくてはならない。軽い相談のつもりで近しい先輩に辞める話をした時、「いろいろ自分から動いて発信していればどこかで誰かと繋がってきっと何かしらの仕事が出来て人生何とかなると思うんですよね」みたいなことを言ったのだが「中野君が何を目指しているのかよく見えてこないんだけど」と一蹴された。ほんとにその通りで、自分だって見えてないものが他人に見えるわけがないのである。
この職場に入って三年目で、なんやかんやで戦力と見なしてもらえるようになっていたようなので、抜けるにはちゃんとした理由が必要だ。そこで、とりあえず絵で稼いでみたいというのは本当の気持ちとしてあるので、イラストレーターかマンガ家になりたいということにした。みんなの知っている職業を言うと意外とすぐ納得してもらえて、とりあえず年度末に退職するということに決まった。
それはちょうど2019年の年の暮れ、中国のどこか遠い都市で原因不明の肺炎が流行っているらしいというニュースを耳にしたころだった。
本書は、いつか通し打ちの歩き遍路をしたいと思い続け、いざ仕事を辞めたらコロナ禍になったという、優柔不断でタイミングが悪いが、諦めも悪い男による遍路記である。
2020年6月からの遍路旅のことを書いていく。せっかくなので一周目(2016年)と二周目(2018年、須崎まで)のときの思い出も紹介するが、それぞれを毎回区別しているとややこしいので、特に理由のない場合はまとめて「前回のお遍路では」と言うことにする。そして今回の遍路を二周目ということにする。
先日なんとなくPCを漁っていると、本の「まえがき」の初稿が出てきた。2020年11月ごろに書いたもので、まだ岐阜県におためし移住をする前である。全体的にどういうテイストの本になるのかもまだ分からず、とりあえず書いてはみたものの、まず文字数が多すぎるし、内容も遍路本というよりは退職本のまえがきになってしまっているから書き直したいなと思って、のちに一からすべて書き直すことにした文章だ。おかげで実際の本のまえがきはお遍路本らしいものになって気に入っている。
この初稿を改めて読んでみると、推敲などしていないので内容が取っ散らかっているものの、仕事を辞める前や辞めた後の当時の曖昧な心境がよく出ているなと感じた。出版物として、僕のことを知らない人に読んでもらう文章としてはふさわしくないが、このブログに残しておくには良いんじゃないかなと思ったので、せっかくだしアップすることにする。
まあ誰のためというよりは、自分の記録用という目的です。
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まえがき
2020年4月18日、四国八十八ケ所霊場会が各寺に要請を出した。納経所を閉めることにしたという。お寺のウェブサイトには「納経所閉鎖」や「閉山」の文字が並んだ。
閉山というなんとも仰々しい字面を見、「仏教っぽいなあ」なんて笑いながらも、春の遍路の計画が完全に吹っ飛んだことを悟った。あ~あ、あてが外れたなあ。こんなはずじゃなかった。無職になった僕は四月から歩き遍路をし、夏にはどこかの山小屋でバイトでもしているはずだったのに。
いつか会社を辞めようとは前からぼんやり思っていて、それは特に何かがしたいとかそういうのではなく、かといって今の仕事がとんでもなく嫌いだとかそういうわけでもない、ふんわりとしたものだった。旅するように働きたい。漂ったり招かれたり、人から人へ、縁をたどって、いろんなことに触れてみたかった。
一人旅が好きだった。まあめちゃくちゃ旅好きな人ほど情熱があるわけでもないんだけど、たまに遠出してゲストハウス(相部屋の安い素泊まり宿)に泊まるくらいのことはしていた。そこでは同じように好んで一人旅をする人たちが泊まっていて、ご飯を食べたりお酒を飲んだりしながら、オススメの観光スポットやら観光じゃないスポットやらの情報を交換するのだ。そしてそのまま夜が更けて、若い頃にありがちな人生談義が始まる。そこにゲストハウスのスタッフが交じると議論は更に混迷を深め、カタギじゃない人生の例を沢山聞くことになって、実際そういう人が目の前に何人もいたりして、ああそういう生き方も出来るんやなぁ悪くないよなぁなんて思っちゃったらもう、後戻りはできなくなる。
またそういう宿にはたいてい旅好き作家の本なんかがズラリと置いてあって、それがまた面白いのである。この人たちは旅を仕事にしてあちこち行っては本を書き、漫画を描き、絵にして売って、それでまた旅へ出る。僕もそういう仕事がしてみたいなあなんて思っては、変わらない平日の仕事が始まり、それはそれで一生懸命頑張っちゃったりなんかして、やりきって、息抜きにまた次の連休に旅に出て、以下繰り返し。
以前、歩き遍路をしたことがある。そんなに昔ではなく、2016年のことだ。当時二十六歳で、仕事に疲れ、鬱状態と診断されて休職したのだが、しばらく寝込んだ後に、前から興味のあった歩き遍路に行ってみることにしたのだった。通院や心境の都合で三回に分けて歩いた。テントと寝袋を担いで野宿もした。山以外でのテント泊なんてしたことなかったので最初のうちはひどく緊張したし、連日三十キロ歩くのもしんどかった。でも四国の自然に癒され、多くの出会いに励まされ、思い出深い日々を過ごした。それでそこそこ元気が戻ったのであった。めでたしめでたし。
とはならず、そのあともズルズル休職が続き(鬱状態というのはそう簡単には回復しない)、結局一年後に転職してしまった。心機一転、新しい環境で楽しくやっていこうと思った。その時はまだ四国遍路の本当の恐ろしさを分かっていなかった。
四国遍路には依存性がある。界隈ではそれを茶化して「お四国病」と呼ぶ。遍路を終えたのにまた行ってしまう不治の病で、重症化すると脳内がお遍路のことでいっぱいになり、イライラしてぼーっとして眠くなる。それでまた手を出してしまう。接種すれば一時的にハッスルするが、帰宅してしばらくすると再び発作が出るというなんとも恐ろしい病気である。いやほんとに!
そんなわけで一周目が終わって二年後の2018年に二度目の歩き遍路に出かけた。四月に有給休暇を月~金までとって土日と合わせて九日間、そして5月にゴールデンウイークを利用して九日間。一番札所から始めて三十六番札所を越え、高知県の須崎まで歩いた。職場の先輩たちからは「ちゃんと帰ってきてね」「浄化してこいよ」「二日間の研修出張入れといたからな」と謎の配慮をされて非常に困惑した。そして帰ってきたら客先の人にもお遍路に行ったことが知られていた。なんでや。(黒いからである)
二度目の遍路はやっぱり楽しかった。思い出補正なんかじゃなかった。新しい出会いや発見があった。でも……でも、何か物足りなかった。出発して一週間程度で調子が出てきて、いよいよこれから!というタイミングで帰らなければならないのがもどかしかった。
通し打ちがしたい。一度も帰らずに八十八ヶ所を巡る、通し打ちがしたい!しかしそのためには一ヶ月半もの休みが必要で、どう考えたってそんな休みは取れるはずがなかった。
とはいえ新しい職場は繁忙期を除きプライベートな時間をそれなりに確保できるところだった。最初のうちは趣味の登山や一人旅をより一層楽しんでいたが、加えて、お遍路のマンガを描くようになった。歩き遍路をするとだいたい感動的で個性的で面白い出来事に巡り合うので、みなさんそれを何かしら形に残したくなるようだけど、自分の場合は漫画にしたいと思って、それまで漫画なんてちょっとしたものしか描いたことなかったくせに、見切り発車で描き始めた。描き始めると、描くことでお遍路を再体験できるのが楽しくて、お四国病の対処療法として有効でもあった。いくらかまとまると印刷して冊子にし、同人誌即売会で売るようになった。即売会では同じように旅に魅せられ人生が狂った、もとい人生が面白く転がった人がいて、中には半分仕事のように同人誌を作っている人なんかもいて、また刺激になった。何回か参加したりツイッターにアップしたりなんかするうちに旅仲間が増え、遍路仲間も増えた。そして少しずつ絵も上達していった。そうすると描くのがより楽しくなって、描いて、交流して、また旅をして、仲間が増えていく。そうした好循環できっと仕事も人脈も広がっていくんだろうなぁとぼんやり感じた。実際そんな単純なものでもないと思うのだけど、妙な所で楽観的な僕はそういう風に思っていた。
仕事を辞めることにした。三十歳になっていた。一度立ち止まってみたかったというのもあるし、自分を試してみたかったというのもちょっぴりある。そしてお遍路の通し打ちもやりたいし、長期で行ってみたい国もある。そのどれもが、いつかいつかと待っているだけではおそらく永遠に来ない機会であると思った。自分で作らなくてはならない。
旅仲間や旅の本の作者たちを見ていると、特に何も決めずにそうやって仕事を辞めて旅に出て、でも何とかなっている人が多かったから、たぶん自分も何とかなるだろうと思っていた。よく考えるとそれはいわゆる生存者バイアスであり、何とかなった人だから元気にしているわけで、何とかなっていない人も多いはずなのだが、どこかで自分は何とかなるだろうと思っていた。
いざ仕事を辞めるとなると、それを会社の人たちに説明しなくてはならない。軽い相談のつもりで近しい先輩に辞める話をした時、「いろいろ自分から動いて発信していればどこかで誰かと繋がってきっと何かしらの仕事が出来て人生何とかなると思うんですよね」みたいなことを言ったのだが「中野君が何を目指しているのかよく見えてこないんだけど」と一蹴された。ほんとにその通りで、自分だって見えてないものが他人に見えるわけがないのである。
この職場に入って三年目で、なんやかんやで戦力と見なしてもらえるようになっていたようなので、抜けるにはちゃんとした理由が必要だ。そこで、とりあえず絵で稼いでみたいというのは本当の気持ちとしてあるので、イラストレーターかマンガ家になりたいということにした。みんなの知っている職業を言うと意外とすぐ納得してもらえて、とりあえず年度末に退職するということに決まった。
それはちょうど2019年の年の暮れ、中国のどこか遠い都市で原因不明の肺炎が流行っているらしいというニュースを耳にしたころだった。
本書は、いつか通し打ちの歩き遍路をしたいと思い続け、いざ仕事を辞めたらコロナ禍になったという、優柔不断でタイミングが悪いが、諦めも悪い男による遍路記である。
2020年6月からの遍路旅のことを書いていく。せっかくなので一周目(2016年)と二周目(2018年、須崎まで)のときの思い出も紹介するが、それぞれを毎回区別しているとややこしいので、特に理由のない場合はまとめて「前回のお遍路では」と言うことにする。そして今回の遍路を二周目ということにする。
「僕の歩き遍路」新聞記事いろいろ
CATEGORY仕事
西日本出版社「僕の歩き遍路 四国八十八ヶ所巡り」の本の取材をあちこち受けました。
●四國新聞(2022/06/02)…香川県

●恵峰ホームニュース(2022/06/04)…岐阜県恵那市・中津川市

●愛媛新聞(2022/06/07)…愛媛県

●山陽新聞(2022/06/28)…岡山県

どれもいい感じにまとめてくださって、ありがたいことです。
どの取材でも、本の内容だけでなく僕自身の人生の歩み、つまりこれまでとこれからについても聞かれました。自分の過去を掘り返して言葉にして返すのでけっこう精神的に疲れるんですが、それだけ “人生即遍路(by山頭火)” ということなんだろうなあ。
でもどうなんだろ、本の取材ってけっこう人生のこと聞かれるもんなんだろうか笑。
●四國新聞(2022/06/02)…香川県

●恵峰ホームニュース(2022/06/04)…岐阜県恵那市・中津川市

●愛媛新聞(2022/06/07)…愛媛県

●山陽新聞(2022/06/28)…岡山県

どれもいい感じにまとめてくださって、ありがたいことです。
どの取材でも、本の内容だけでなく僕自身の人生の歩み、つまりこれまでとこれからについても聞かれました。自分の過去を掘り返して言葉にして返すのでけっこう精神的に疲れるんですが、それだけ “人生即遍路(by山頭火)” ということなんだろうなあ。
でもどうなんだろ、本の取材ってけっこう人生のこと聞かれるもんなんだろうか笑。
結果論的裏話
CATEGORY雑記
やってるうちにそうなって、あとから振り返るとこういうことだったんだ、というのはよくあることで、その一本筋を言語化あるいは図示することで伝えたいことをつむぎ、伝える、もしくは自分自身で咀嚼するもの、それが一冊の本を作るということなのかもしれない。
このたび僕は縁あって本を出版した。『僕の歩き遍路 四国八十八ヶ所巡り』という本だ。1年と数ヶ月かけて執筆したこの本は、執筆するなかで、また出版社とのやりとりのなかで、いくつか方針やターゲット読者が定まっていった。
まずは四国に住む人に読んでほしいということ。次にお遍路経験者やこれからお遍路をしようと思っている人に読んでほしいということ。後者を想定して、四国遍路における最新情報やイラストマップ、それから各種マメ知識をふんだんに盛り込んだ。実用書としての側面も強く、それがこの本の特長でもある。
マップは自信作である。詳しい地図は専門のものが数冊世に出ているのでそちらを見てもらうとして、ざっくりとした地図を書くならば僕はこういう地図が欲しい、というアイデアを詰め込んだ。なかでも、愛媛県序盤の灘道、中道、篠山道の分岐は、ほどよく周辺情報がある且つ、その全体像を見ることができる地図(つまり広域地図)は少なくとも僕が知っている限りではほとんど出回っていないので貴重だと思う。他には石鎚山登山のための経路や、香川県の遍路道沿いにある讃岐うどん有名店情報、結願後の大窪寺から霊山寺への道の広域マップも他にはあまりない。ぜひこれで全体像を掴んで実際に歩き遍路に活用してもらえたら嬉しい。
一方で、こないだ出版社の社長が話していたのはこの本の“裏テーマ”。社長はこの本をどうやら「逃げ本」として捉えたらしい。(2016年、1周目のときの話だが)鬱になってお遍路に逃げたらその後人生楽しくなっている、という筋道だ。たしかにそう読める。そこには社長個人の出版社創立への経緯と重なるものもあったようだし、僕自身、あのとき逃げてよかったなと思っているので、「逃げ本」という表現はとても気に入った。
「逃げ本」と捉えるならば、読者ターゲットは少し変わる。何かと窮屈になってきている現代社会において、生きづらさを感じている人、特に20,30代くらいの人。何か会社以外にも人生があるんじゃないかと悩んでいる人。この本は、そんな人たちにとって、一つの個人的経験談の提示になると思う。これを読んでお遍路に行けとは言わないけど、ちょっと気が楽になってもらえたら嬉しいし、各々の興味のあることに没頭してみるきっかけになるんじゃないかと思う。
で、いよいよ本題だが、僕自身がこの本を改めて読んでみて、裏テーマかもな、と思ったことは何か。
それは、「良い大学を出たが、職場での他の人とのコミュニケーションで色々と躓いてしまっている人」への一つのエールになり得るんじゃないか、というもの。これはどう表現しても嫌味になってしまうので、以下、言葉を選ぶのは諦めるが、高学歴の人特有の悩み、というのは結構あるのだ。
本書では高知市でそういう話が出てくる。大学の先輩と久々に会った時のこと。まんべんなく仕事ができるが逆に突出したものがない、器用貧乏になってしまうという話。テストで言うと科目トップはとれないが総合点で一位になるタイプの人のことである。高学歴の人はこういう人は多いと思う(もちろん理系科目だけがずば抜けて得意な天才タイプもいるが)。
そういう人は、20後半~30歳くらいになり、いざ自分は何者なのかと問うた際に、はたと困ってしまう。どれもできるということは、何か一つ、自分にはこれしかないと言えるものが無い、ということなのだ。それでいて、自分はけっこう色々できるんだ、という言語化できない自信はあるもんだから、分業化の極みみたいな現代の会社では、自分総体としての価値を出しきれないことに対して不満が募る。
他にも悩みはある。大学生時代は1を聞いて100分かるような同級生、先輩後輩に囲まれて過ごしたが、いざ働き始めると全然会社の人と話がかみ合わないという悩み。〇〇大なんだからできて当たり前でしょ、と最初から期待が大きすぎるという悩み。まあ色々ある。
僕は京都大学の出身なので、こういう悩みはずっと抱えていて、逆学歴コンプレックス、と勝手に名付けていたほど。そんな著者が書いた本なので、要所要所の表現に、そうした葛藤が見え隠れしていると思う。
池田渓著『東大なんか入らなきゃよかった 誰も教えてくれなかった不都合な話』 という本がある。これはタイトルの通り、東大に入ってしまったことを後悔している著者をはじめとした卒業生へのインタビューをまとめた湿っぽい本である。僕はこの本が好きで、ああこういう悩み分かるなあって完全に共感してしまったのだけど、Amazonのレビューを見ていると、嫌味な本と捉えた人も多いようだ。そりゃそうである。僕のこの文章も完全に同じだし。
この認識のズレは、有名なプロニート(だった)pha著『持たない幸福論』にも見られる。会社員をやるのが無理でニートとなった京大卒のphaさんが、いかにしてモノ・コトを持たないまま人生を過ごすか、という話が綴られているが、例によってレビューには「“持っている人”による持たない幸福論」と揶揄されている。
実は、僕の『僕の歩き遍路~』もこの本に似た所があるんじゃないかと思っている。というのも、表面的にはお遍路紀行文でありながら、ストーリーとしては、とある青年が無職になって旅をして、縁をたどって果樹園で働くようになり、本も出版した、というある種のサクセスストーリーにもなっているからだ。「だって無職つったって結局文章も書けるし絵も書けるじゃん」みたいに思われるのは当然である。仕事をやめてもなんとかなりますよ、というある種無責任な経験は生存バイアスのかかったものであり、この通りにすれば誰でもうまく行くとは限らないわけで。もちろん一個人の体験を一般化する意図は僕には無いが、そうとも読めるし、ましてや京大出身者が書いた本ならば嫌味に感じる人もいるだろうと思う。でもそこは仕方ないので一応気にしないことにしている。
とまあ話があっちこっちに飛んでしまっているが、要するに、本のあちこちに、高学歴で悩んでいる人には共感してもらえるであろう話や考えが散りばめられた本だとは思っていて、お遍路関係なく、そういう人にも届いたらいいなと期待している。
実際、大学の後輩(先日のトークイベントにも来てくれた)がこの本を読破して、本をたいへん気に入ってくれた。遍路自体への興味も持ってくれたようだけど、きっと上記のような方向性のことも読み取ってくれたと思っている。というのも、何年か前にそういう話で盛り上がったことがあったからである。まあ、本を気に入ってくれた後輩がいるというだけで、なんか僕としては割と満足ではある。
以上、深夜の戯言でした。
このたび僕は縁あって本を出版した。『僕の歩き遍路 四国八十八ヶ所巡り』という本だ。1年と数ヶ月かけて執筆したこの本は、執筆するなかで、また出版社とのやりとりのなかで、いくつか方針やターゲット読者が定まっていった。
まずは四国に住む人に読んでほしいということ。次にお遍路経験者やこれからお遍路をしようと思っている人に読んでほしいということ。後者を想定して、四国遍路における最新情報やイラストマップ、それから各種マメ知識をふんだんに盛り込んだ。実用書としての側面も強く、それがこの本の特長でもある。
マップは自信作である。詳しい地図は専門のものが数冊世に出ているのでそちらを見てもらうとして、ざっくりとした地図を書くならば僕はこういう地図が欲しい、というアイデアを詰め込んだ。なかでも、愛媛県序盤の灘道、中道、篠山道の分岐は、ほどよく周辺情報がある且つ、その全体像を見ることができる地図(つまり広域地図)は少なくとも僕が知っている限りではほとんど出回っていないので貴重だと思う。他には石鎚山登山のための経路や、香川県の遍路道沿いにある讃岐うどん有名店情報、結願後の大窪寺から霊山寺への道の広域マップも他にはあまりない。ぜひこれで全体像を掴んで実際に歩き遍路に活用してもらえたら嬉しい。
一方で、こないだ出版社の社長が話していたのはこの本の“裏テーマ”。社長はこの本をどうやら「逃げ本」として捉えたらしい。(2016年、1周目のときの話だが)鬱になってお遍路に逃げたらその後人生楽しくなっている、という筋道だ。たしかにそう読める。そこには社長個人の出版社創立への経緯と重なるものもあったようだし、僕自身、あのとき逃げてよかったなと思っているので、「逃げ本」という表現はとても気に入った。
「逃げ本」と捉えるならば、読者ターゲットは少し変わる。何かと窮屈になってきている現代社会において、生きづらさを感じている人、特に20,30代くらいの人。何か会社以外にも人生があるんじゃないかと悩んでいる人。この本は、そんな人たちにとって、一つの個人的経験談の提示になると思う。これを読んでお遍路に行けとは言わないけど、ちょっと気が楽になってもらえたら嬉しいし、各々の興味のあることに没頭してみるきっかけになるんじゃないかと思う。
で、いよいよ本題だが、僕自身がこの本を改めて読んでみて、裏テーマかもな、と思ったことは何か。
それは、「良い大学を出たが、職場での他の人とのコミュニケーションで色々と躓いてしまっている人」への一つのエールになり得るんじゃないか、というもの。これはどう表現しても嫌味になってしまうので、以下、言葉を選ぶのは諦めるが、高学歴の人特有の悩み、というのは結構あるのだ。
本書では高知市でそういう話が出てくる。大学の先輩と久々に会った時のこと。まんべんなく仕事ができるが逆に突出したものがない、器用貧乏になってしまうという話。テストで言うと科目トップはとれないが総合点で一位になるタイプの人のことである。高学歴の人はこういう人は多いと思う(もちろん理系科目だけがずば抜けて得意な天才タイプもいるが)。
そういう人は、20後半~30歳くらいになり、いざ自分は何者なのかと問うた際に、はたと困ってしまう。どれもできるということは、何か一つ、自分にはこれしかないと言えるものが無い、ということなのだ。それでいて、自分はけっこう色々できるんだ、という言語化できない自信はあるもんだから、分業化の極みみたいな現代の会社では、自分総体としての価値を出しきれないことに対して不満が募る。
他にも悩みはある。大学生時代は1を聞いて100分かるような同級生、先輩後輩に囲まれて過ごしたが、いざ働き始めると全然会社の人と話がかみ合わないという悩み。〇〇大なんだからできて当たり前でしょ、と最初から期待が大きすぎるという悩み。まあ色々ある。
僕は京都大学の出身なので、こういう悩みはずっと抱えていて、逆学歴コンプレックス、と勝手に名付けていたほど。そんな著者が書いた本なので、要所要所の表現に、そうした葛藤が見え隠れしていると思う。
池田渓著『東大なんか入らなきゃよかった 誰も教えてくれなかった不都合な話』 という本がある。これはタイトルの通り、東大に入ってしまったことを後悔している著者をはじめとした卒業生へのインタビューをまとめた湿っぽい本である。僕はこの本が好きで、ああこういう悩み分かるなあって完全に共感してしまったのだけど、Amazonのレビューを見ていると、嫌味な本と捉えた人も多いようだ。そりゃそうである。僕のこの文章も完全に同じだし。
この認識のズレは、有名なプロニート(だった)pha著『持たない幸福論』にも見られる。会社員をやるのが無理でニートとなった京大卒のphaさんが、いかにしてモノ・コトを持たないまま人生を過ごすか、という話が綴られているが、例によってレビューには「“持っている人”による持たない幸福論」と揶揄されている。
実は、僕の『僕の歩き遍路~』もこの本に似た所があるんじゃないかと思っている。というのも、表面的にはお遍路紀行文でありながら、ストーリーとしては、とある青年が無職になって旅をして、縁をたどって果樹園で働くようになり、本も出版した、というある種のサクセスストーリーにもなっているからだ。「だって無職つったって結局文章も書けるし絵も書けるじゃん」みたいに思われるのは当然である。仕事をやめてもなんとかなりますよ、というある種無責任な経験は生存バイアスのかかったものであり、この通りにすれば誰でもうまく行くとは限らないわけで。もちろん一個人の体験を一般化する意図は僕には無いが、そうとも読めるし、ましてや京大出身者が書いた本ならば嫌味に感じる人もいるだろうと思う。でもそこは仕方ないので一応気にしないことにしている。
とまあ話があっちこっちに飛んでしまっているが、要するに、本のあちこちに、高学歴で悩んでいる人には共感してもらえるであろう話や考えが散りばめられた本だとは思っていて、お遍路関係なく、そういう人にも届いたらいいなと期待している。
実際、大学の後輩(先日のトークイベントにも来てくれた)がこの本を読破して、本をたいへん気に入ってくれた。遍路自体への興味も持ってくれたようだけど、きっと上記のような方向性のことも読み取ってくれたと思っている。というのも、何年か前にそういう話で盛り上がったことがあったからである。まあ、本を気に入ってくれた後輩がいるというだけで、なんか僕としては割と満足ではある。
以上、深夜の戯言でした。
トークイベント@森ノ宮おわりました
CATEGORY仕事

2022年5月2日夜、大阪市のもりのみやキューズモール、まちライブラリーにて、『僕の歩き遍路 四国八十八ヶ所巡り』のトークイベントが催されました。タイトルは「版元ドットコム&まちライブラリー 本をつくるってこういうこと 僕が「僕の歩き遍路」を出したわけ」。

会場には20,30人ほどの参加者があり、けっこうな盛り上がりでした。大学時代のクラスメートや後輩、友達もいてなんだかとっても嬉しかった!
司会は僕の本を担当してくださった編集者さん。質疑応答形式で、歩き遍路の苦労話や印象に残った出来事、また、本の制作過程に関する話など多岐にわたり、色んな話ができました。参加者からの質問も多く、和気あいあいした雰囲気でした。1時間半ほど、好きなように話ができる機会ってこれまで無かったので、めちゃくちゃ楽しかったです(始まる前はかなり緊張していたのが嘘みたいです!)。毎日でもやりたいくらい。
タイトルでもある「本をつくるってこういうこと」とは?という質問には、一つ目はちょっとウケ狙いのこと、二つ目はやや抽象的なことを話しました。ざっくりいうと、「過去の体験に一本、筋道を作ること」かなと。
抽象的な話は思い付きで喋るととっ散らかってしまいがちなのですが、なんとか伝わったようでよかったです。
本の中にも抽象論が出てきます。お遍路道中、歩きながら考えたあれやこれや、たくさん詰め込んでいますのでぜひぜひ、お読みください。
最後はサイン会。いやあ、サイン会をするなんて、人生何が起こるか分からないものです。